「そっか、じゃあ手伝うよ。暇だし。」
小十郎の手伝いをするくらいならば政宗に見つかっても何とかなりそうだし、寝起きでしっかりしない頭には冷たい水が良く効きそうだ。
俺がそう言うと小十郎は厳しい顔を僅かにほころばせるが、本当に、野菜の事になると人が変わったようになるな。
「練習場の近くに井戸がある。そこで洗おう。」
俺と小十郎が廊下を歩くと、パタパタと忙しなく動き回る女中さんの姿が目に入る。なるほど、こんなに忙しそうじゃお願いできそうもない。その代わりに心の中で頑張れと応援しながら歩みを進めていくと、庭に面した廊下へと出た。
そこを真っ直ぐ行くと練習場なのだろう、庭の奥側に井戸があるのがわかる。
庭へ出ようとしていた俺達の前にまるで計ったかのように、二足の草履が置いてあるのは黒脛組の仕事だろうか?
「悪いな、こんな寒い時期に。しかも夜に水仕事なんざ頼んじまって。」
苦笑交じりの小十郎の声。最初の頃は俺の事を怪しんでいたのに、今じゃ気遣ってもらえるくらいに仲良くなったんだ。なんだかグッとくるものがあるよな。
「気にするなって。一眠りして頭もボーっとしてるし、目が覚めるから丁度良い。」
笑って返してやれば、小十郎はぶっきら棒にありがとうなと声をかけてくる。
あれだよな、これがゲームならピロリローとか効果音がして新密度が上がってて…きっとレベルが上がるにつれて協力技とか出せるようになるに違いない。
「んじゃ、とっとと終わらせるかー。」
草履を履いて庭に下りる。井戸の周りは水場独特の冷えた空気が周囲を包んでいる。それなのに俺の前を歩く小十郎はまったく怯む様子が見えない。それどころか普通に盥を出すと井戸の水をくみ出した。
感心するように息をホゥと吐けば、白っぽい靄に変わっていく。水はきっとキンと冷えているんだろう、それなのに盥に水を入れていく小十郎は眉一つ動かさない。これが不動心ってやつなんだろうか?
「そこに荒縄を束ねた物があるから、それを使っては大根を洗ってくれ。」
縄を束ねただけの簡易式のタワシを手にする。炎の特殊技で自分の周りを温かくしようと思ったけれど、野菜は熱に弱いからそんな事をしたら萎れてしまうだろう。
深呼吸をして、盥へと汲まれた水の中に手とタワシを突っ込んで、息を飲んだ。逆に水の中の方が気温より温かい。そうか、場所によるのかもしれないけれど、井戸水って地下深くにあるから一定の温度で保たれてるのか。この調子ならいけると思って手を盥から出した瞬間。
気化熱、という奴だろう。水に濡れていた部分が外気に触れた途端、肌を切るような痛みに似た鋭い寒さが襲う。洒落にならない冷たさだ。思わず小十郎に救いを求めるように目をやると、小十郎はいつの間にかもう一つの盥への水を汲み終わり、その中に白菜をつっこんで丁寧に洗っている。勿論、手は水から出し入れされていて、俺が今体感している冷たさを何度も感じているはずなのだ。
寒くないのか?と目を丸くしていたが、その手が赤くかじかんでいるのを見て俺は口を噤んだ。
「大根の方が簡単だから、終わったら手伝うぜ。」
ただ一言そう言えば、小十郎は白菜へ向けていた視線をチラと俺へ向けてから再び白菜へと向ける。
「無理はすんな。歯の根が合ってねぇぞ。」
からかうような口調で言い放つと、小十郎は肩を僅かに震わせて笑い出す。子ども扱いされたような感覚に言い返そうとするが、小十郎の笑いを誘発するだけだと思って口を閉じる。
何だかほのぼのする。寒さ云々は抜きにするとして、だけれど。
まるで小十郎が人を殺してきたとか嘘みたいに見える。その裏に、輝宗って人との過去の話しもあったのかもしれないとか…そういうのをひっくるめて全部、小十郎は上手に隠している。年の功、にしては随分上手すぎるけれど、これが経験値の差って奴なんだろう。俺が他の世界から来たって言っても驚かなかったのは小十郎だけだ。まぁ、これについて知ってるのは小十郎と政宗だけだから比べる人間が少ないんだけどさ。
そんな事を考えながら冷たさと格闘するように大根を洗っていると、突然小十郎が口を開いた。
「お前が他の世界から来たと言っていた時に思った事なんだが…」
丁度俺がその事を考えていた時だったものだから、一瞬頭の中を読まれたんじゃないかなんて下らない事を考えた。いや、さすがに経験値の差があってもそこまではできないはずだ。
そんな俺の内心の動揺なんてつゆ知らず、あくまで個人的な意見だというような事を付け足してから、小十郎は次の白菜へと手を伸ばす。
「俺は神職の出だから詳しくはわからねぇが、仏教には、様々な世界が何層にも重なって出来ているという考えがあるらしい。」
小十郎のその言葉にゾクリ、と何かが背を伝ったのがわかった。それは水の冷たさでもこの季節の気温でもなんでもない。
もっと他の何かだ。
「それによると、上へ行けば行くほど徳の高い者が住む世界となるらしい。逆に下に行けばいそれだけ徳の低い世界となる訳だ。俺達の生きる世界もまた、その階層の一つだと言われている。」
「じゃあ俺はこの世界の上、もしくは下の階層から来たって事か?」
一瞬だけだったゾクリとしたものがゆっくりと背筋を登ってくる。もしかしたら自分がここへ来た方法もわかるんじゃないかと思う。でもそれは例えるならば、推理小説を読んでる時のような第三者的な気持ちに似ていた。
帰りたいと思った事は無い。そもそもあの世界に心残りなんて微塵も存在していなかった。暗殺業を隠す為の高校生活って奴も確かに楽しかったけど、本職のスリルやドキドキ感には負けたし、その本職だって結局は楽しむための娯楽みたいなものだったから執着なんて抱かない。
だから、もしかしたら来た術がわかって、帰る術も見つかるんじゃないか!なんて思いは出てこない。俺からすればただの謎解きのようなものだ。解ければ面白いけど、それだけ。

