野菜を洗い終え、収穫用に使った農具を洗い、服を野良仕事用からいつも通りのものへと変えて目通りがかなうようなものにしたその時には、太陽はもう傾き始めていた。
やるべき事をすべて終えて、ふと、朝起きてから食べ物を何一つ口にしていない事を思い出す。暑いからと水は比較的大量に摂取したのだが、食事までは気が回らなかった。そう自覚すれば、先程まで何も感じなかったはずだというのに自然と腹が減る。
その時目に入ったのは自分の野菜だった。小十郎はその中の一つに手を伸ばして食べようとし、やめた。
「っと、危ねぇ…」
つまみ食いは、よくある。その時の出来を調べる為にどれか一つを選んで口にしたり、形の悪く育ってしまったものを自分で消費したりと目的は様々ではあったが、ともかくつまみ食いは自制する程の事ではない。
しかし今日は特別だった。
小十郎は理性で押し留めると籠を持ち上げる。ズシリとした重さが伝わって、小十郎は自慢げな気持ちになった。こんなにも立派に育て上げる事ができたのだと、出来る事ならば皆に見せびらかして歩きたい。だが思うだけで表面には出さないが故に、小十郎は普段は冷静なキャラとして伊達軍に浸透しつつある。
表面は冷静なままではあるが、今の小十郎の中身は完璧に、ただの野菜好きな一人の男だった。
「政宗様、よろしいでしょうか。」
主の執務室に向かい、入口に座して声をかける。暫くの後に、入れという了承の声が聞こえ、小十郎は恭しく戸を開けた。
「待ってたぜ、小十郎。」
早く入れというように政宗が畳をポンポンと叩く。それに促されるように小十郎は一度礼をすると籠を持って部屋に入った。
主の前に座り、今まで丹念に丹念に心を込めて作った野菜を差し出した。
「Oh,great!!」
「今年もいい野菜が育ちました。これもひとえに政宗様のお陰にございます。」
異国語は理解できないが、その顔つきから褒められているのだという事だけはわかる。小十郎は幸せそうに顔を緩めたまま口上を述べた。
中元や年貢とは又違う八朔。毎年この時期になると、小十郎は自分の畑でできた野菜を政宗へと献上するのだ。それが堅物と言われる小十郎の数少ない楽しみの一つであり、政宗もその事を良く理解している。
故に、小十郎から直接献上された野菜は政宗以外が食べる事は許されない。籠一杯のそれを消費するには大分時間がかかりそうだが、絶品と言っても過言ではない小十郎の野菜を毎日のように食べられるのだと思うと政宗はウキウキとしながら早速今晩の献立を考えるのだった。
いつもただでさえ早く起きる小十郎が、更に早く起きた。という事は、夜も必然的に早くなる。夜着に着替えて寝付こうとしたその時だった。
「おい、小十郎、少しいいか?」
扉越しに聞こえたのは主の声。主が自ら家臣の部屋に来るなど本来なら有りえない事なのだが、伊達軍ではそうでもないらしく、小十郎は臆する事も無くすぐさま扉に近付くと扉を開けた。
「見苦しい格好にて失礼致します。小姓に言いつければ私が伺いましたのに…一体いかがなさいましたか?」
続く言葉に、執務が終わらないのですか?それとも真田の次男坊とまた手合わせの為に城を空けたいのですか?と問われ、政宗は小さく苦笑した。確かに小十郎の部屋へ直接政宗が来る時は、大体そういった無理難題を小十郎に押し付ける時くらいなのだ。
だがしかし今回は違う。政宗はHa,と小さくその言葉を鼻で笑い飛ばすと、懐からなにやら薄っぺらい包みを取り出して小十郎の顔の前に突きつけた。
「珍しい野菜の種が手に入ってな、お前にやろうと思ってよ。」
野菜の種、という単語に小十郎は食いついた。無理を言われるのだろうと諦め半分だった顔が一気に輝く。その反応の良さに政宗は喜ぶ反面、現金な奴だとも思った。それだけ自分が日頃、小十郎に苦労をかけているのだという事までは頭が回らないらしい。
とはいえ苦労して取り寄せた甲斐あって、日頃仏頂面な忠臣がこれだけ喜んでくれているのだと気を取り直し、それを渡してやる。小十郎の顔が更に輝き、大事そうにそれを握りこんだ。勿論、あまりの感動にそれを握りすぎて種を潰す…というヘマは絶対にしない。
「Tomato…赤茄子って言うらしい。実が柔らかくて繊細なものらしいが…お前なら見事に育てられるだろう?」
政宗の言葉に小十郎は大仰に頭を下げた。感謝の気持ちの大きさのせいか、暫く頭をあげようとしない。そんな小十郎の姿を見て政宗は小さく苦笑した。実直な男はいついかなる時も全力で向かってくる。
「小十郎めの為に、珍しい種を用意していただけた事、感謝の極みにございます。」
きっと当人が納得するまで頭を下げ続けるんだろうと思いながら政宗はAh…と声を出す。何か言いたい事があるのかと顔を上げる小十郎と、どこか悪戯に笑んだ政宗の視線が合った。
「礼はいらねぇ。その代わり、来年の八朔も楽しみにしてるぜ?」
「はっ!」
小十郎は深々と頭を下げると早速畑の様子を見て赤茄子を植える場所を探すと言って出て行ってしまった。その背中を見ながら政宗は小さく溜息をつく。伊達軍一の智の武将が、野菜の種であんなに顔を綻ばすと誰が知っているだろうか。
肘掛に頬杖をつきながら政宗はもう一つ溜息をつく。
「わかってやがったか、アイツ。」
政宗が珍しい野菜の種が『手に入った』と表現したのに対し、小十郎は『用意した』という表現を用いた。その差は僅かではあるが、政宗が意図して種を手にしたかどうかと言う部分に対しては双方は反対の意味を孕む。
小十郎の言ったとおり、政宗は自らの意思で珍しい野菜の種を仕入れた。しかしそれを言えば家臣に気を使わせると思ってあえて『手に入った』と表現したのだが…。
「…来年が、楽しみだな。」
政宗は楽しげに微笑むと、小十郎の出て行った扉を見つめた。
何時如何なる事が起こっても可笑しくないこの激動の時世において、又この季節を感じる事ができたのだと政宗は笑みを深め、まだ口にした事のない果実の味を想像する。
小十郎もまた小さな畑に立ち、主と同じ事を想像しては口の端を緩めるのだった。
短い収穫期には沢山の実りが手に入るが、それはつかの間。奥州にはすぐさま冬が訪れる。厳しいそれを乗り越える為の、小さいながらも尊い実りの季節。
八月 朔日。

